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1on1にこだわらない:部下と対話をするには?


ずっと働ける職場には「ポジティブな助け合い」がある

昨今、1on1 という言葉が普及し、様々な企業で習慣化が浸透してきています。


本来1on1は、部下と上司がコミュニケーションを取るための良い機会であり、業務上の進捗や目標達成のために重要な場面となっています。

しかし、1on1をやらなければならないという事に捉われすぎて、弊害が起きている状況も少なくありません。

この記事では、1on1と型にはめず、部下との対話について考えてみます。



 

【 目 次 】

 

1on1の形式にこだわるあまり起きる弊害


1on1という形式は、上司と部下が1対1で対話することを目的としています。

しかし、この形式に過剰にこだわることが、以下のような弊害を引き起こすことがあります。


・意見交換が限定的になる

1on1は、上司と部下の対話を促すことが目的ですが、この形式にこだわりすぎると、意見交換が限定的になる場合があります。

上司が予め決めたテーマにのみ固執するため、部下が本当に必要としている話題が話せなくなることがあります。


・クオリティの低下

上司が1on1にあまりにもこだわると、部下との対話自体が無理やりになり、品質が低下する場合があります。1on1を通じて部下との信頼関係を築くことは重要ですが、そのためにはフォーマットに囚われず、自然な対話を進めることが必要です。


・目的が不明瞭になる

1on1は、上司と部下が目的を共有するために行うものですが、こだわりすぎると目的が不明瞭になります。上司が1on1にこだわりすぎ、その意味を説明せずに部下との対話を進めると、部下が1on1の意図を理解できなくなります。


以上のように、1on1という形式に過剰にこだわりすぎることは、部下や上司に不自由さやストレスを与える可能性があります。

1on1を効果的に活用するためには、柔軟に対応することが必要です。


上司と部下が自然な形でコミュニケーションを取れる環境を整えることが大切です。

もし、皆さんの周りに1on1が機能していない、うまくいっていないという方は、原点に立ち戻り「部下との対話」について見直す機会をつくってみましょう。



部下との間に必要な「対話」とはどんな「対話」なのか



では、私たちが必要とする「対話」とはどんな対話なのでしょうか。

わたし・みらい・創造センターが定義している「対話」とは、ただ話をしたり、討論することが「対話」ではなく、各自が持つ見解を発信・共有・理解し、新たな見方を生み出す(創造する)プロセスのことです。対話をする事によって、何かが見えてくる、そんなやり取りを示します。「対話」の語源はギリシャ語の「言葉」「通り抜ける」という意味から来ています。


精神科医 泉谷閑示さんが、以下のようにおっしゃっています。

“相手を「他者」としてみる事から「対話」は始まる”

話す相手の「自分との違い」「世界観の違い」「価値観の違い」を捉え、自分はまだ相手を理解できていないのであるという事を認識する事が相手を「他者」として捉える、ということです。

私自身も泉谷さんの考えにとても共感しており、相手が違うという前提を持って以下に対峙できるか、が重要だと思っています。

誤解を恐れずに表現すると、「対話」には、部下を自分は良く分かっていない、という前提からスタートすることが大事です。

「どうせこうだろう」「こういうところで悩んでいるのだろう」と相手を理解したつもりで「部下の為になるはずだ」と思って話をしたりしますが、相手にとっては押し付けとしか思えない状態になってしまう場合も多く、特に、上司から良かれと思って出た提案やアドバイスは自分に合わないもので、断るのは至難の業と思われている事も多いです。

こういったことの繰り返しが、「対話」ではなくなり、限定的な話になり発展しなかったり、互いにとって身になる話しにならなかったりする訳です。



違いが出た時が「対話」となるきっかけ


では、どんなやり取りが有意義な話=対話になるのでしょうか。部下と話をしているときに「違い」が出た時だと私は考えています。

違いを互いに交わす事ができる=他者として相手を見ることと考えると、「違い」が出たタイミングこそが「対話」が出来るか、の分岐点です。


私たちはこれまでの経験で、「違い」を話す事にあまり慣れていません。

それは、「違い」が出た時の批判や否定に不安を感じたり恐れを感じている人が多く、否定体験や不安体験によって、日頃から集団に同調するような過ごし方をしていると、周囲に「合わせる」ことが普通になってしまい、自分自身の考えや意見を相手に伝えることを自然と遠慮してしまう事が多くなります。


それを繰り返すと、自分自身の本当に考えていること、思っていることを相手に伝えずに過ごすことが多くなります。

部下が同じような状態に陥っていると、相手を他者として捉えることができず対話も機能しません。「対話」をしているようで「対話していない」状態に陥ります。そうならないためにも、まず相手が「違い」を出す事を恐れない、安心して「違い」を出せる状況や場を準備するのが大切です。それこそが倫理的安全性に繋がります。

心理的安全性はやさしくすることでも甘えさせる環境をつくることでもなく、違いを発揮していいという場をつくる、上司も違いを出す場をつくる事がポイントです。

その上で、「違い」が出てきたら、「違いを知りたい」と、自分とは異なる考えや感情に触れ、理解しようとすることが重要です。



「対話」を行う時は、互いが対等であることが重要



部下と「対話」するとき、あなたは「思いもよらないような気付きを部下から受けるかも」という感覚で話ができているだろうか?と話の流れを予測して、どうせこのような状態であろう、と思い込みで話を進めていないでしょうか。


上下や経験の多さ少なさを前提として話をしてしまっている事が「対話」の妨げになっているのかもしれません。経験の積み重ねが、逆に先入観になって細部や方よりのある見方をしてしまい、新しい視点を持てていない可能性もあります。

どんな人と話す時でも、新しい自分では感じられなかった意見やものの見方がある可能性を秘めていると踏まえて話すことが「対話」のスタンスとして重要です。


何となく聞いて、やり過ごさない


私は、共感という姿勢を全面に出しすぎて、きちんと話が聴けていないときや、大体の見立てで話を聞き、「聴く」ことが出来ていない状態で話を流してしまっていることがあると、時折ハッとします。


共感して聴いている姿勢は表現できているけども、粒度荒く相手の話をきいてしまっている状況です。分かっているつもりでも、しっかりと確認しながら聴くと、自分の感覚とはまったくことなった感じ方をしている場合も良くあります。

相手が持っている、前提のようなものを自分でもしっかりと理解できるように問いかけていき、相手が話をしている内容を本来の意味で理解することが大事です。


「分かる」という言葉を手放してみる


泉谷閑示さんの書籍の中で、丸山眞男さんの本の一説が引用されているのですが、「分かる」という言葉は非常に困る言葉であると表現しています。「理解する」と「同意する」という意味が混ざってしまっている、と。

この区別がごちゃごちゃになってしまっているから、「同意」したくない場合に「理解」しようとする事にも目をそむけてしまう。

上記の考え方に触れて、「分かる」という言葉から、相手の話を聴く時に、①理解できたか?②同意できるか?を分けることを意識しました。すると、相手の話を受け入れやすく、理解しやすくなったと感じるようになりました。


これらのポイントを踏まえ、「対話」が出来ているかを測るには、「対話」を終えたとき、上司にも部下にも何かしらの変化をもたらしているかを振り返ってください。


上司自身も気付き、学び、いい影響を受けたか、が指標になります。


1on1という型に縛られるのではなく、部下との「対話」を実践してみましょう。


続きを書いていきますので、次回も読んで頂けますと幸いです。




この記事を書いた人 加井 夕子(かい ゆうこ) SBIビジネス・イノベーター株式会社 「わたし・みらい・創造センター(企業教育総合研究所)」

副センター長/専任講師/コーチ


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